ストーリー

森のことば 節の家具の誕生まで

樹木はまるで小さな宇宙です。
幹ひとつにも柾目・節・赤太・白太とあり、驚くほど表情豊かです。
けれど無節の柾目と画一化にこだわるあまり、せっかくの個性を色で塗りこめ、自然の造形美を無視してきた点は否めません。
一本の丸太から家具として使用されるのは10パーセントから25パーセント。
見誤った美意識と合理主義のため、森の恵みを活かし切れずにきてしまったのです。
素晴らしい樹木の個性を楽しみつつ、資源の活用を図れるなら、こんな良いことはありません。

2001年、当社は高度な匠の技を基に、「節」を主役とした家具作りに挑みました。
予想を超す魅力的なフォルムになりました。
そんな家具の誕生秘話をご紹介します。


節は悪者


社長に就任以来、毎日工場を回っていた岡田は、その朝あることに気が付いた。
「どうしてこんなに端材が出るんだ!」


技術部長に確認した。
「節や腐った部分はもちろん材色の悪い材料は使えませんから。」
と当たり前のように、自慢するかのように答えた。
資材担当者にも確認した。
「良い材料だけ購入することは出来ません。節や腐りの入った材料も合わせてしか買えません。」
工場長にも確認した。
「テーブルなどは最後のひと磨きで節が出てくるモノがあるのです。そういったモノは製品には出来ません。」
と平然と答えた。
営業部長にも確認した。
「うちの家具は柾目できれいな材色が自慢です。ちいさな節でも入っていたらお客さまから返品されてしまいます。」


これでは利益が出ない


飛騨産業はバブル崩壊後、売上は右肩下がり。毎年赤字を重ね、瀕死の状況におちいっていた。
「このままでは赤字体質から脱却できない。」


主材料であるナラは北米産のホワイトオークだ。
製造原価の約30%を占める材料購入にあたりアメリカの山もとに前金で支払い、尚かつ歩留まり率は決して良くない。これでは利益が出ないのは当たり前だ。


「どうして節が入ってはいけないのか?」
岡田は営業部長に尋ねた。
「節の入った家具は無いことはないですが、パイン材の安物しかありません。」
「それじゃ節の入った高級家具を作ればいいじゃないか!」
デザイン室に相談した。
「それは面白いですね。早速デザイナーの佐々木さんに相談してみます。」
デザイナーの佐々木敏光氏は九州大分の日田市出身。
実家は製材所を経営し、幼い頃から木と共に育ってきた。
飛騨産業ではすでにクレセントが実績になっていた。
飛騨産業からの節入り高級家具の開発打診にすぐさま反応した。


試作はじまる


当時、飛騨産業の主力商品はカントリースタイルであったが、売れ行きが低迷していた。
現代の住宅に合わせやすいシンプルなデザインを希望されていた。
しばらくして直線的なフォルムにクラフトの要素を融合した、日本的なデザインのスケッチが送られてきた。
急ピッチで試作が行われた。


売れそうな予感


その年の夏。9月の展示会を控え、ショールームにリビングチェアの試作品が並べられていた。
「この節かっこいいね。」
「こんな家具今まで見たことないよね。」
「デザインもシンプルでとてもよいわ!」
若いカップルがショールームで試作品に座りながら話しているのを、たまたま通りがかった岡田が見ていた。


「これは売れるかもしれない。」
岡田は小躍りした。
やがて試作品が次々開発された。


お客さま続々


2001年9月に開催された「飛騨の家具フェスティバル」における飛騨産業のメイン商品は「森のことば」だ。
商品名の「森のことば」は岡田の友人でドキュメンタリストの瀬戸山玄が命名した。
ショールームの2階に森を造った。その森の中に家具がある。節がある。節も自然が造り出した造形美だ。仕上げも植物系のオイル仕上げにした。
展示会が始まると営業関係者の不安は一掃された。
展示会が終わってみると注文は100店舗を超えていた。


早く作れ


今までの飛騨産業では、9月の展示会で発表したものはお客さまのご意見を反映したり微調整を行い、本生産に導入する準備期間としておよそ6ヶ月を要していた。つまり翌年の3月ころ発売だ。
岡田は工場のスタッフを集めて激をとばした。
「こんなにご注文をいただいているんだから、2ヶ月で生産導入できるようにして欲しい。」
展示分の注文だけでも大きな金額になる。また、年末の需要期に間に合うかも大きな問題だ。


工場一丸となった生産導入が始まった。予定通り11月から生産導入が始まった。治具(製作するための道具)が間に合わないものは試作ラインで生産した。
おおよそ100店舗分が年末までに展示された。翌年の春の需要期には今までにない大きな注文をいただいていた。


問題続々


しかし生産ラインでは多くの問題を抱えていた。
節を処理するのに時間と手間がかかる。
大きな節の場合、そのままだとちいさなお子さんが指を挟み怪我をする可能性がある。また、節のところから割れてくる可能性も高い。
そのため工場では節の中まで徹底的に磨いていた。通常のテーブルの倍以上の時間がかかっていた。
磨きの職場は女性が多い。彼女たちは普段行かないDIYのお店にいって磨きの道具の研究をした。
電動ドリルの先につけるヤスリを研究したり、サンドペーパーを切り刻んでみたり。自分たちで改善を始めた。
半年後には通常のテーブルと同じ時間で加工できるようになった。

 

新たな問題が発生した。
ダイニングチェアの背板が曲がらない。
ホワイトオークの節はとても硬く、少し蒸したぐらいでは割れが発生し、最初のロットでは90%が割れていた。
曲げ木職場では、様々な材料のデータ取りを繰り返し、現在では歩留まり率は95%を超えるまでになった。

更なる大きな問題が発生した。
節のある材料が無くなったのだ。
今まで使われなかった部分だけに製材後の在庫でまかなえていたが、在庫を全て消化してしまい供給が間に合わなくなったのだ。
アメリカの製材会社に至急打診した。しかし、節材を送って欲しいなどという要望を信じてもらえない。今まで、さんざんきれいな材料だけを送って欲しいと言っていた会社が、急に節材を要求するなんて・・・。
やがてアメリカの製材会社の社長が来日した。「森のことば」を見ると全てを了解し、節材の供給に問題は無くなった。


場外ホームラン


やがて飛騨産業の売上シェアNO.1 となり大ヒット商品に育った。
ある業界紙の記者はこういった。
「業界の中でも、1年に1回くらいヒット商品が出る。また数年に1回ホームランも出る。でも「森のことば」は数十年に1回の場外ホームランだ。」
岡田は言う。
「素人のビキナーズラックですよ。素人だからこわいもの知らずで開発できたのです。」


確かに岡田は2000年の12月に代表取締役に就任した。それまではDIY店舗の経営者として流通業界に身を置いてきた。飛騨産業の監査役を務めてはいたが、製造業、特に家具については全くの素人と言って良い。しかし、高山の荒物店を東海地区で有数のDIY店舗チェーンに育てた経営者としての実績と勘がこの成功を引き寄せたことは間違いない。
また、DIY店舗経営者であった頃から「エコ」に関しては人一倍敏感であった。オゾン層を破壊するフロンガス入りの商品を全店舗から排除し、それが週刊文春に取り上げられるなど「エコロジー派」として知られていた。高山でもエコロジーをテーマにしたテディーベアのミュージアムを開いていた。


「森のことば」はすこしだけ早く時代の雰囲気をとらえていたのかもしれない。まだ、声高にエコが叫ばれているわけでもなく、癒しなどという曖昧なことばもはやってはいなかった。
1%のお客さまに気に入ってもらえばいい。でもそのお客さまを徹底的に大切にする心が場外ホームランを生み出したのかもしれない。